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しんい民宿

花蓮市南京街218号

電話:03-8358767

(日本から+886-3-8358767)

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しんい民宿(台湾)

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当馨憶(しんい)民宿も219頁に

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近隣観光

このページでは「弊宿に前泊のお客様を対象」とした「弊宿催行ツアー」を紹介しています。是非、ご利用ください。なお、前泊でないお客様は原則参加できませんが、午前8:50までに自力で弊宿に御越し頂けるお客様は参加が可能です。ただし、花蓮駅やホテル、民宿などへのお出迎えは一切ございませんので予めご了承願います。
各種ツアー料金は(5)弊宿催行のツアー料金に記載していますので御覧ください。


弊宿催行ツアー

(1)タロコ渓谷歴史探訪ツアー(一日コース)

(2)海線・山線(花東縦谷)ツアー(一日コース)

(3)日本人移民村三村(吉野村、豊田村、林田村)巡り

(4)その他、お客様のニーズに応じたスペシャルツアー(要相談)

(5)弊宿催行各種ツアー料金一覧

(1)タロコ渓谷歴史探訪(一日コース)

 ★日本統治時代の歴史散策ができます。
 ★パワースポット体験ができます。
 ★台湾・花蓮検定が楽しめます。
 ★日本語で案内いたします。

 タロコ渓谷とはタロコ(東の花蓮)から中央山脈を超えて東勢(西の台中)に至る全長192Kmの東西横貫公路の一部で、特に世界的にも希な切り立った断崖や渓谷美がすばらしいタロコ~天祥間20Km区間を指します。この横貫公路は、もともと第五代台湾総督の佐久間左馬太が明治43年(1910年)、原住民討伐のための「理蕃5ヵ年計画」に基づいて作った道路です。この道路をベースに、後に蒋介石が当時溢れていた退役軍人の働き場所として、また、中国とのイザ戦争といったときの物資補給路として1956-1960年の4年間、1日6000人を投入して作り直したものです。横貫公路脇には今でも随所に日本時代の古道(発電所建設資材の搬送路や警察の警備道など)が見られ、当時の大変さが容易に想像されます。

本コースは物見遊山的な渓谷観光ではなく、日本統治時代初期の東台湾の歴史および台湾島全体の地形的・人文的特徴をご説明する点に力点をおいた観光になっています。

このような点に興味のある方、大歓迎です。

注:運動靴など歩きやすい履物や服装がいいです。

タロコ渓谷歴史探訪(馨憶民宿発) 2019.07.10変更

観光場所 トイレ 発着時刻 滞在時間 概要
民宿出発9:00 飲み物は各自で携帯して下さい。トイレは早めに言って下さい。なお、天候、道路工事、その他の事由で順路に変更もあり得ます。予めご了承下さい。
①七星潭風景区
着 9:20
15Min
花蓮飛行場脇にある海辺。飛行場の後には中央山脈、前には茫洋とした太平洋を臨む。花蓮飛行場は昔、湿地帯(潭)だった。晴れた日は海と山のコントラストが鮮明、風景区に指定されている。晴れた日の夜には北斗七星が見える。
発 9:35
②新城神社
×
着 9:55
20Min
明治29年12月、結城少尉の小隊がタロコ蕃および李阿隆と衝突、23名が殺された新城事件が発生。この事件が後に第5代台湾総督佐久間左馬太に山地原住民平定の必要性を思わせた東台湾最初の事件。平定後神社が建てられた。
発 10:15
③太魯閣牌樓
×
着 10:20
20Min
1960年4月(民国49年)、東西横貫公路が完工。これを記念して太魯閣牌樓を建造。台中の東勢に至る東西横貫公路192kmの花蓮側の起点。1985年、太魯閣国家公園となる。
発 10:40
④砂卡礑歩道
着 10:45
30Min

砂卡礑歩道は日本統治時代に水力発電所の建設資材運搬用道路として作られた。水の青さと大理石の岩肌(模様)が素晴らしい。神秘の谷とも言われている。

発 11:15
⑤燕子口
着 11:20
20Min
7,8月頃、岩燕がよく見られ、岩肌にポッカリと空いた穴に巣を作る。長い年月、水による浸食を受け続けて自然に作られた「インディアンの顔」をした大理石の岩が特に有名。
発 11:40
⑥錐麓断崖
×
着 11:45
10Min
高さ600m、幅1200mの大断崖。日本統治時代、この断崖の上には断崖駐在所、錐麓駐在所があった。また、30名の警官が常駐していた「バタカン警察官吏駐在所」が107名の原住民が住んでいたタロコ族のバタカン部落に作られていた。
発 11:55
⑦流芳橋
×
着 12:00
10Min
「神様がまるで斧で断ち割った」という表現がされている所で、まさに渓谷の断面そのものを見る思い。景観台から見るとこの渓谷の深さに圧倒される(日本では絶対見られない)。
発 12:10
⑧九曲洞
着 12:15

45Min

九曲洞とは沢山曲がった山洞の意味。太魯閣渓谷最大の見所。7年間ほど落石防止工事のため通行禁止になっていたが、6月24日より一部(700m)が通行可となった(必見)。
発 13:00
⑨慈母橋
×
着 13:05
10Min
蒋介石の息子、蒋経国が母に送った橋とされる。元の橋は台風で壊れ、今の橋はその後の建造。「青蛙」の形をした大きな岩がある。岩の上の東屋を「青蛙の冠」と称している。
発 13:15
⑩岳王亭
×
着 13:20
15Min
岳王とは中国南宋の武将、岳飛のこと。関羽と並ぶ英雄。金との対戦で何度も勝利したが岳飛の勢力拡大を恐れた宰相・秦檜に謀殺された。後に功績を称えて岳王となる。
発 13:35
⑪天祥(昼食)
着 13:40

40Min

統治時代の名称はタビト。撫子小学校、武道館、宿泊所、療養所、酒保(売店)などが有り、常時100人程度の警察官とその家族が常駐していた。行き付けの食堂(小吃店)で昼食。
発 14:20
⑫文天祥公園
×
着 14:25

20Min

日本統治時代、第5代台湾総督佐久間左馬太を祀る佐久間神社があった。東西横貫公路完工後に蒋介石が南宋の宰相、文天祥の石像と天祥作の漢詩「正気歌」がある。これにより日本統治時代の地名「タビト」から戦後は「天祥」に改名。
発 14:45
⑬長春祠
着 15:05
5Min
東西横貫公路は1956~60年の4年間に退役軍人を中心に一日6000人を投入して日本統治時代の道をベースに作られた。この時の工事で亡くなった212名を合祀している祠。
発 15:10
⑭清水断崖
着 15:30
20Min
清水山(海抜2,408m)の裾野がそのまま太平洋に落ち込んだ約20kmを清水断崖という。統治時代の台湾八景の一つ。ところどころに統治時代の臨海道路がそのまま残っている。
発 15:50
民宿or花蓮駅
  
17:00
  お疲れ様でした。

 

(2)海線・山線ツアー(一日コース)

海線(東海岸線)は太平洋側の海岸山脈に沿って花蓮から北回帰線モニュメントまでの片道約80Kmのコースです。途中には美しい弧を描いた磯崎湾を一望できる芭崎展望台やあたり一面が海食溝・海食台地の石梯坪などの変化に富んだ海岸線があり、新鮮で安くておいしい海鮮料理が堪能できます(日本の1/3から1/2以下の価格)。北回帰線(北緯;23°26′)のモニュメントを跨いで熱帯と亜熱帯の風の感触(あくまで気分的なものですが)を味わいつつ、「おお、思えばここはハワイと同じ緯度なんだ!」と感激するのもよし、です。海線観光後、海岸山脈を横断して山線に入ります。山線とは花東縦谷のことです。中央山脈と海岸山脈に挟まれた花蓮から台東までの平野部をさします。山線には今も日本統治時代の遺構が数多くあり歴史散策が楽しめます。警察官の保養所として作られた瑞穂温泉、日本統治時代の地名は「上大和」(今は「光復」と改称)、30種類ものおいしいアイスクリームで有名な砂糖工場、伐採した台湾杉やヒノキなどの中間処理場で当時の建物やガス電車がそのまま残されている林田山等などがあります。また、多くの日本人が専業農民として移民してきた場所でもあり、単に景色を楽しんで、おいしいものを食べる観光以外に、特に私達日本人にとって山線コースは歴史的に意義深いものがあります。

注:温泉には個室と共同風呂がありますが、共同風呂入浴には水着着用となっています。また、鉄分の多い温泉で「男の子が産まれる」といわれています。コンタクトレンズの方は洗顔時、要注意です。

海線・山線ツアー時間表(馨憶民宿発)

観光場所 トイレ 発着時刻 滞在時間 概要
民宿出発9:00 飲み物は各自で携帯。トイレは早めに言って下さい。
①遠来飯店展望台
着 9:20
20分
海岸山脈の頂上に建つ五星ホテル(遠来飯店)の展望台から花蓮市街を鳥瞰する。また、正面に聳える雄大な中央山脈も遠望できる。ホテル内の見学も可。
発 9:40
②和南寺
着 10:00
20分
和南寺背面の山腹に鎮座する観音像(徒歩20分程度)は台11号線上のランドマークともいえる。本殿内は質素な造りでお寺によくある豪華な木像、石像、書画類は一切無い。
発 10:20
③芭崎展望台
着 10:40
20分
青々とそして茫洋とした太平洋に面した絶好の展望台。花蓮県で唯一の磯崎海水浴場が一望できる。東屋でコーヒーを飲みながら「ぼー」とするひと時もたまにはいいのでは。
発 11:00
④石梯漁港
着 11:30

40分

(昼食)

石梯漁港は東海岸国家公園管理処石梯坪風景区内にあり、東海岸ホエールウォッチング発祥の漁港として有名。漁港脇の海鮮店では新鮮で安価な海鮮料理に舌鼓。
発 12:10
⑤石梯坪
着 12:15
15分
ユーラシアプレートがフィリピン海プレートを持ち上げている場所で海食台地や海食溝などの独特で壮観な海食地形が見られる。
発 12:30
⑥長虹橋
×
着 12:40
10分
長さ120m、無橋脚、台湾最長のアーチ型の橋で1967年に建設された。虹が山を跨いでいるように見えることから名づけられた。ラフティングの終着点でもある。
発 12:50
⑦北回帰線モニュメント
着 13:00
15分
亜熱帯と熱帯を分ける北緯23度26分の緯度上にあるモニュメント。モニュメントの中心線を跨げば熱帯と亜熱帯の風を同時に体感できる。同じ緯度で太平洋を横断すればハワイだ。
発 13:15
⑧海岸山脈越え
×

山脈越え

13:45

30分
ラフティング終着点の大港口から瑞穂まで秀姑巒渓に沿って海岸山脈を約20km横断する。シーズン中はラフティングを楽しむゴムボートの一団を見ることができる。
⑨瑞穂温泉
着 14:00
60分
日本統治時代に警察官の保養所として開かれた温泉がある。鉄分の多い温泉で明治37年当時の原住民タイヤル族の写真があり、往時の生活ぶりを垣間見ることができる。
発 15:00
⑩光復砂糖工場
着 15:30
30分
日本統治時代の1921年に建設された工場。当時の地名は上大和。2002年工場は操業停止したが資料館があり往時の様子がわかる。ここのアイスクリームはおいしいので有名。
発 16:00
⑪林田山
着 16:30
30分
日本統治時代の1937年操業開始。当時は「繫茂した森林の坂」という意味で「森坂」と命名された。伐採した木材の中間処理場。1972年森林火災により没落。往時の景観が残る。
発 17:00
民宿or花蓮駅
  
17:40
  お疲れ様でした。

 

 

(3)日本人移民村三村(吉野村・豊田村・林田村) 巡り時間表

I.吉野村

明治43年2月、花蓮港廳下最初の官営移民村を設立し、荳蘭社に移民指導所を設置した。徳島県下より9戸20人の農業者を招致し、専ら熱帯農業に当たらしめた。明治43年10月52戸の農民を招致、更に明治44年8月 七脚川を母国地名の吉野村と改名、同年170戸を収容、更に大正3年と4年に96戸を収容、計327戸で宮前・清水・草分の3部落を形成し、大正5年吉野村が完成した。

探訪場所

トイレ

有無

発着 時刻表 滞在時間 概要
民宿出発 9:00発 飲み物は各自で携帯。トイレは早めに言って下さい。

①七脚川事件

紀念碑

×
紀念碑着
9:20
20分
七脚川事件の発端は明治41年、北埔の隘勇線を見張っていた原住民アミ族七脚川蕃の勤務態度が悪く、警察官が注意したが逆に警察官を殺害。また、チカソワン社隘勇19名が逃亡。これを契機にタイヤル族のバトラン蕃と木瓜蕃、更に南勢アミ族七社の計2,245名が連合した一大暴動事件。この碑には七脚川事件の経緯が刻まれている。事件後、アミ族が住んでいた広大な土地八百八十万坪の原野が日本人開拓者によって開墾され吉野村に生まれ変わった。
紀念碑発
9:40
 

②吉野神跡

③吉野村拓  記念碑

×
吉野神社着
10:00

30分

大正元年1月鳥居と神殿が完成、5月30日社務所が完成。同年6月8日鎮座式。台湾神社のご分霊である北白川能久親王が主神。他に天照皇大神、大国主命、大己貴命、少彦名命を合祀。今は吉野神社鎮座紀念碑および第九代花蓮港廳長今井昌治題字による吉野村開拓記念碑が残る。
吉野神社発
10:30
 

④吉野布所

(現:慶修院)

慶修院着
10:40
30分
日本統治時代、吉野村の村民の心の拠り所として「吉野布教所」が建立された。弘法大師を祀る。戦後、花蓮県政府観光局の所管となり「慶修院」と改名、また三級古跡に指定。
慶修院発
11:10
 
⑤楓林歩道
×
楓林歩道着
11:20
20分
この歩道は本来健康増進のための県民歩道である。随所に展望台が設備され、広大な吉野平野、当時の吉野村の全景や現在の吉安郷の街並み、また、花蓮市までも展望できる。
楓林歩道発
11:40
 

 

⑥昼食

(立川漁場内のレストラン)

立川漁場着
12:00

60分

大規模に黄金蜆(シジミ)を養殖している。シジミ料理や魚料理、肉料理などメニュ-は豊富で味もよく、また価格も妥当。昼食後は館内展示物の参観が自由にできる。
立川漁場発
13:00
   

Ⅱ.豊田村

明治39年末、賀田金三郎の経営した事業地を明治43年台東拓殖合資会社が買収し、翌44年同社は熊本、宮城の2県より移民を招致し森本部落より豊田神社付近に至る約8haを開墾して甘蔗を耕作。大正元年台東拓殖合資会社が塩水港製糖(株)と合併、これを機に豊田村許可地を官に返地させ官の直接経営とする。大正2年4月、内地より招致した移民と共に計139戸674人を収容し、豊田村の建設となった。

探訪場所

トイレ

有無

発着 時刻表 滞在時間 概要
    飲み物は各自で携帯。トイレは早めに言って下さい。

①豊田村

開拓記念碑

×
開拓記念碑着
13:20
20分
開拓当時の苦労を克服して花蓮港発展の礎を成した創業当時の気迫を称え、また病気、蕃害(首狩り)等で殉職した者の霊を慰め、功績を後世に伝えるため、塩水港製糖(株)が昭和15年9月24日に建立。
開拓記念碑発
13:40
 

②豊田神社

(現:碧連寺)

豊田神社着
14:00

20分

大正4年6月5日、移民の守護神社として豊田神社を建立。吉野神社同様、北白川能久親王が主神で天照皇大神、大国主命、大己貴命、少彦名命を合祀し、毎年10月18日大祭を挙行した。不動明王が現存する。また。境内には第18代台湾総督長谷川清題字の開村三十周年記念碑がある。
豊田神社発
14:20
 

③警察官吏 派出所

×
派出所着
14:30
10分
当時の中里部落に豊田移民村警察官吏派出所が建設された。今も建物が現存する。
派出所発
14:40
 
④豊田村墓地
×
移民村墓地着
14:50
10分
当時は100座以上の墓石があったが今は4座のみが残っている。当時東台湾の環境は最悪で、大正3年にはマラリヤ、赤痢が蔓延を極め、ツツガ虫がはじめてここで発見された。
移民村墓地発
15:00
 

 

Ⅲ.林田村

大正3年2月、花蓮港~瑞穂間の鉄道開通と前後して第一回移民を収容。本村の土地も豊田村同様、塩水港製糖拓殖(株)への払い下げ許可地であったが返還させ、大正2年豊田村開拓が一段落したのを機に本村の指導所、医療所、小学校、警察官吏派出所などの建設に着手。大正3年2月林田移民指導所を開設、南岡50戸、北林25戸の移民を収容し、甘蔗、陸稲などを作付けした。大正6年、移民の収容を完了。177戸767人。

探訪場所

トイレ

有無

発着 時刻表 滞在時間 概要
    飲み物は各自で携帯。トイレは早めに言って下さい。

①煙樓

×
煙樓着
15:20
20分
林田村は鬼茅が密集し野獣が横行、作物の被害が甚大であったが煙草耕作が成功し、水稲、甘蔗などの農作物を抑え収入源の一位となった。煙樓は煙草を乾燥させる建物で大阪式と広島式があり現存する。
煙樓発
15:40
 

②林田神社

×
林田神社着
15:45

15分

大正4年6月6日、移民の守護神社として林田神社を建立。祀る神は吉野神社、豊田神社と同じ。毎年10月6日大祭を挙行した。 平成24年8月、開村百周年を機に鳳林鎮により鳥居、石灯籠が復元された。
林田神社発
16:00
 

③警察官吏 派出所

×
派出所着
16:05
10分
当時の中野部落の中心に林田移民村警察官吏派出所が建設され、今も建物が現存する。
派出所発
16:15
 
④職員宿舎⑤小学校
×
職員宿舎着
16:20
10分
大正3年4月1日設立された林田尋常高等小学校のそばに今も当時の職員宿舎が現存する。
小学校発
16:30
 

 

民宿or花蓮駅   民宿着
17:30
  お疲れ様でした。

 

(4)その他、お客様のニーズに応じたスペシャルツアー(要相談)

 上記(1)~(3)以外で特にお客様がご希望される場所やコースがございましたらご気軽にご相談下さい。

 

(5)弊宿催行のツアー料金

ツアー名称
料金
概要(特徴)
1)タロコ渓谷歴史探訪(一日コース)

・催行条件はお二人様以上。この場合、お一人様につき1,500元。

・お一人様だけでもツアーの催行は可能ですが、この場合は3,000元です。

・小中学生はお一人様につき750元です。

観光場所は一般の観光では行かない清水断崖を含め14箇所です。説明は全て日本語です。
2)海線・山線ツアー(一日コース)

・催行条件はお二人様以上。この場合、お一人様につき2,000元です。

・お一人様だけでもツアーの催行は可能ですが、この場合は4,000元です。

・小中学生はお一人様につき1,000元です。

海線では茫洋とした太平洋が臨め、山線では日本統治時代の歴史散策が楽しめます。
3)日本人 移民村巡り

・催行条件はお二人様以上。この場合、お一人様につき1,500元。

・お一人様だけでもツアーの催行は可能ですが、この場合は3,000元です。

・小中学生はお一人様につき750元です。

官営移民村三村(吉野村・豊田村・林田村)を巡る歴史探訪です。往時に思いを馳せるのも一興です。

4)スペシャルコース

・相談による。

 

 

清水断崖

清水断崖

清水山(2407m)の裾野がそのまま太平洋に落ち込んだ約20kmを清水断崖という。日本統治時代の台湾八景の一つ。ところどころに統治時代の臨海道路がそのまま残っている。

タロコ牌樓

タロコ牌樓

1960年4月(民国49年)、東西横貫公路が完工しました。タロコ牌樓はこれを記念して作られたものです。ここは台中の東勢に至る東西横貫公路192kmの起点です。

タロコ渓谷の景観

タロコ渓谷の景観

大理石の山をまるで神様が斧で断ち割ったような鋭い渓谷が延々20km続きます。また、長い時間の間に水で削られ露出した真っ白な大理石の岩肌が見えます。

砂卡礑歩道

砂卡礑歩道(神秘の谷)

砂卡礑歩道は日本統治時代に水力発電所の建設資材を運搬する道路として作られたものです。水の青さと大理石の岩肌(模様)が素晴らしい。

北回帰線モニュメント

北回帰線モニュメント

東海岸線北緯23度26分の緯線上に建てられた北回帰線のモニュメントです。真っ青な太平洋を見ながらこの緯線上に立って亜熱帯と熱帯の風を感じて見るのも一興です。

 

 上記以外にも、これらのツアーコースで見るべきところがたくさんあります。また、当民宿では上記の観光案内も致しております。どうぞ当民宿にご用命頂ければと思います。

勿論、日本人による日本語のガイドですので安心です。